正しくは「母が看病」してくれた思い出だ。
3人姉兄弟の長女だった私は、「丈夫な子」として、育った。 今回、入院していて、ふとなつかしく、思い出した。 夫が海外に単身赴任して、6ヶ月あとに私たちも行く予定だった頃。 冬で、長女はもうすぐ1歳になろうとしていた2月。 長女は、高熱と、下痢と、湿疹で、新米ママの私はオロオロしていた。 突発疹だと、近所の医師は言う。ベテランママ達は、違う、あの先生は やめて別の小児科へ連れてきな! その頃は車の免許はまだなくて、高熱下痢の娘をバスに乗せて その、良い医者へ行く気にはなれない。 そのうち、わたしも下痢が移り、高熱も出てきた。 助けを求めたことはなかったのだが、この時は、すぐ母に電話した。 次の日、母は、やってきて、色々手伝い、泊まって行った。 その翌日、母は、私と長女と、自分の荷物と、私の荷物を まとめ、タクシーを呼んで、実家へ帰った。 父もまだ現役の勤め人だったし、なれない家で家事をするより 連れてきたほうが楽だからと。 そこで私は、元私の部屋でゆっくり眠り、長女の面倒を見て 過ごした。医者には行かず、お粥を食べて、娘は母乳を控えて ミルク(下痢の止まる、(ボン何とかと言う、大豆のミルク) を与えた。 今思っても、スイートな、1週間だった。 今回、入院した時、病院のあわただしさに、疲れた時、 あの時の母が看病してくれた日々を思い出した。 1週間後、すっかり回復した私と娘を、再びタクシーを呼んで 乗せ、タップリとした、タクシー代を持たせてくれた。 今の私より若かもしれない。 母が亡くなる頃には、私は子育て真っ最中で、母を家に連れてきて 看病・・・なんてことは考えもしなかった。 それに母は、良く病気、入院をする人だったので、慣れっこに なっていたのかもしれない。 しかし、この思いでは、私の宝で、思い出の引き出しに しまっておいて、ごくたまに、引っ張りだして、充電し、また蓋を するのだ。
by popmamy
| 2007-11-20 17:54
| 思い出
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