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父のノートから(続き)

丹澤へ登った記録ー の後に詳細が書いてありました。

 ー丹沢でのびる記ー
丹沢とは何処に有るか、出かける二、三日前までは知らなかった私であった。
山と言えば、夜は列車の中に寝て、朝起きると目的地へ行くのだ位にしか考えて
居なかった。いよいよわたしも一行の中に加わる時になって、地図を見ると、五万文の
一地図を2枚端から端へ歩くのである。行く前にため息が出た。
あまり経験の無い、その上朗らかな連中五名。何も知らないために、向こう見ずに
飛び出したのは、今考えると冷や汗が出る。

 中央線興瀬駅で降りてすぐ自動車にのりこむ。
横浜水道青山派出所前から歩き出す。横浜水道浄水所と言うのがある。二つの
ランターンで門んの方ばかり照らしていたため、本道を外れて、浄水場脇の
細道を得々然と進行したら行き止まり。土手のような場所を抜けて
本道へやっと出る。冷や汗物であある。
 それが最初の失敗、青の原村に入って、長野、西野と通過、ぐんぐんピッチを
あげて、荒井の部落の手前「荒井橋で気がつき、ため息をつきながら引き返す。
時既に0時50分、すなわち第2の失敗。
 やっとの思いで西野まで来て、農家の寝込みを襲って休息させてもらう。
親切な人で(本当に!)われわれの米を一緒にして、鍋で炊いてくれて
、飯ごうに入りきれない飯は、茶碗を出して食べさせてくれた。
3時30分、この家の主人に案内されて焼き山への間道を登りにかかる。1時間
程で横に長い雲の間にぽっかりと太陽が真っ赤な顔をのぞかせた。同時に
われわれ菜のびて来た。 
 見下ろせば昨夜行ったり来たりした街道が下の方に細く曲がりくねって見える。
いよいよ山に入ったのだ。焼き山の辺りを北に出たり、南に登ったりして、
何時まで行っても頂上へ着かない。ミスターエチと小生と二人で先にどんどん
出てきてしまう。
 後ろの3人はだいぶまいったらしい。少々早いまいり方である。
丹沢名物の霧もかからず、珍しい天気だ。しかし、暑い。焼き山頂上で
少し日がかげった。食事をして1時間近く休む。
 一同元気を取り返して、勇んで次の難関,蛭が岳へ進んで出発する。
キビカラの下で山男氏と同行する。色々と四国の山を説明してくれる。
八丁坂では小生とミスターエチが少々のびる。姫沢原ではまた休息すること
20分。それから急な下りを過ぎて、途中山男氏と別れる。峠の間(?)になって
居るところで水の補給を成しー一路丹沢山塊の最高峰蛭が岳へと向かう。
 此処で又ミスターエチが先頭を切り焼き山で元気を取り戻したMK氏もピッチを
上げる。此の頃から反対コースを取った人たちと出会わす。
「今日は」の挨拶も、山男の自然の仁義だ。 
深い草むらの中にもぐりこんで、何行苦行の約2時間。頂上に這い上がる:
一同心身ともに疲れた形で一時間のびてしまう。
 寝不足だなんだと言って中々出発しない。やがてこれから丹沢を
過ぎて塔が岳まで行かなければ下りにはならないのだ。
がっかりする。

 ここで山のぼりの記述は終わり、途中の寺のことなどかいてある。

こうして、若き日の(20歳前後)父のある日を細かく読みながら
パソコンに打ち込んでいくと、とても感慨深い。とめてくれた農家
とか、今では信じられないような親切で、驚く。若い父たちを
面倒見てくださってありがとう、と言いたくなる。
 若い日は、こんなに時間をすごす「持ち時間」が沢山あったのだなあ。

 父はあるとき、小説家になると言い、原稿用紙をいっぱい買いこんで
家にこもったことがあるそうだ。本人からではなく、叔母(父の妹)
から聞いた話だけれど。祖父が説得に行き、あきらめたそうだ。
 本当に才能とかやる気とか、運が有れば、続けただろうけど、
やはり凡人。
書いて物を残すより、行動して、時間を楽しむ人生を選んだのだ。
 途中冷汗モノと言う言葉が何度も出てきて、読んでいて冷汗
モノだった。
 次は大菩薩峠だけれど、時間があるときを選んで、書き写したい。
by popmamy | 2006-03-22 15:16 | 思い出


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