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千鳥ヶ淵へ行きましたか

 定本 千鳥ヶ淵へ行きましたか
 -石川逸子詩集ー
 
 私は20代のとき、桜の季節に何回か行きました。
ボートをこいでもらいながら、風に吹かれ、心地よい時をすごしました。

 この本は、帯に、あなたは千鳥ヶ淵戦没者墓苑」を知っていますか」
と書いてあります。目次は 千鳥ヶ淵へ行きましたか・・・・の表題で
1~22の詩があります。
1番目は、千鳥ヶ仏へ・・2は名のない人たちに・・3は特攻・・・
と言う風に。
 いくど春がきてまた春がきて・・・日本兵として戦い、戦死した
                     アジアの人たちへの鎮魂の詩
1995・千鳥ヶ淵で・・・
ひとつぶの風となって せめて マレーシア無○※ 生命鎮魂詩 
※変換できず
2005・・・・卓庚(金偏に玄)さんのこと・・・(エッセイ)

 この詩集を読むと、中国、韓国、東南アジアの人たちがなぜ、
今も日本や、日本人のことを怒っているか、よくわかります。
やったことの残酷さも、忘れてもらえないでしょうが、
きちんとあやまって無いのに、ほとんど忘れていることに
癒されない思いが生まれ続けるのだと思います。
 教育しないし、伝えていないから、私たちだってよく知らない。
「生まれていなかった」と言う、便利な言い逃れ
もある。
  私の下手な解説?より中味を紹介します。
1 千鳥ヶ淵へ
 千鳥ヶ淵に行きましたか
   あーあのボート場の
 ちがいます 千鳥ヶ淵に行きましたが
   さー武道館へは行ったけれど
 あれは牛ヶ淵
 実はわたしも昨日言ったばかりなのですが
   たしか桜の名所では
 はい 二月でしたから固い固い蕾で
 その冷たい 桜の木のトンネルの下を
 白髪のおばあさまが ひとり
 杖にすがってひょろひょろ歩いてくるのに出会いました

b「お会いになれたのでしょうか」
   すれ違うとき 心のなかで尋ねた
 「いいえ 毎日毎日通ってくるのに
 あの子は応えてくれません」
   千鳥ヶ淵にはやはり居ないのでは
 「あなたは恐ろしいことを言って」
 かっとおばあさまは目をむきました
 「長いこと それは長いこと
 あの子は泥のなかにいたのです
 あの子の耳が聞えるようになあるのは どんなに時がひつようか」
 すると あなたの死と それはどちらが先でしょう
 (また思ってならないことを 思っていました)
  さみしいおばあさまを後にして
濠沿いの道を進みます。
(実はぐうッと闇へ戻っていっているのではないでしょうか)
千鳥ヶ淵戦没者墓苑へと進みます。

2 名のない人たち  つづく



 



 
 
 

 





 
 
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by popmamy | 2006-03-31 23:42 |

桜便り

淡い桜三分咲き?
桜の写真を写すのは難しい。
でも、淡い、清潔な、美しい花
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これは朝9時ごろの、いつもの公園

 次は、国道20号、立川をかすめて国立方面に車を走らせた。
矢川駅入り口を左に入る。南武線の線路を越えるとまっすぐ、市役所
通りのあたりから、郵政研究所まで、満開の桜。車なので
写真取れない。見物の車が駐車していて、止まれない。
 此処はトンネルになっていて、本当に綺麗だ。
帰りも同じ道を通ったが、ただ通り抜けただけ。

 両親が健在だった頃、子供2人乗せて、里帰りに、よくこの道を
通った。桜の季節もクリスマスの頃も。
クリスマスは、一ツ橋大学の前の道が、ライトアップで
綺麗だった。娘たちは、いつも眠っていて、桜も、イルミネーションも
知らない。
 桜が散りきってしまうまで、私はそわそわ落ち着かない。
 
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by popmamy | 2006-03-30 22:16 | 季節

亀を洗う

 我が家のもう一つのペットは亀3匹。
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夫が水槽を洗っている間、洗面器に入れておいたら
逃げ出そうとするので、たまには、手伝うことにした。
古い歯ブラシで、甲羅をごしごしあらう。かび臭い!重い!
まあ、長年我が家に居るので、可愛い!
 今は3匹になってしまったが、合計で5匹居たこともある。
初めは手のひらに入る大きさだったが、今では、チョッとした
岩のようで、大きくて重い。それなのに
足が速い。1匹だけ名前がついていて、ジャラシーと言う。
 娘が幼いとき、夏のお祭りで「亀釣り」をやっていて、(本当に
そんなものがあったのだ!)1匹だけ釣れたのだ。
幼い娘の手のひらに入ってしまう、小さなもので、可愛かった。
 数年後、家族で、東北旅行をしたとき、帰りがけの松島で
亀を売っているおばさんがいて、娘たち2人が、欲しがったので、
それぞれ小さなかごに2匹づつ(しかも雌雄で)入れてもらい
東京まで持ってきたのだ。東北新幹線、中央線、そしてバスと
ずっと膝に乗せて連れてきたのだ。
 1匹は行くへ不明になり、あるときピアノの足の辺りから
干からびて、コロリと落ちて来た。もう1匹はどうしていなくなった
のか、覚えていない。
 どんどん大きくなり、水槽を大きくすると又大きくなり、また水槽を
大きくしなければ・・・
 小さいときは、水槽から出して、走らせたりして遊んだものだ。
冬眠もしていたが、最近は、明るいリビングの、日当たりの良い場所に
水槽を置いてあるので、冬眠はしない。
 何時まで生きるだろうか?
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by popmamy | 2006-03-28 22:29 | ペット

ゆず

 ゆずのアルバムを買った。初めてのことだ。
ゆずの2人は、来年30歳だそうだ。若いのね、ずいぶん
活躍しているけど!
 高校生だった、娘が友達から借りてきた、
桜木町駅前での、最後の路上ライブのビデオ、とっても良かった。
 車のラジオで、「夏色」を聞いて、彼らの世界にはまった。
童顔の北川悠仁君は、甚平を着て、雨のl降り出した、駅前で
なきながら、最後のライブを、泣きながら唄った。
 有名になって、人が集まりすぎて
ライブを続けていけなくなったのだよね。
 娘の友達は、自分が好きな「ゆず」を友達にも
聞かせたくて、ビデオ2本貸してくれたのだ。娘も
良いと思っただろうけど、いい歳したおばさんもはまったのよね!
 「さよならバス」と言う曲がとても好きになったよ。
もうすっかり忘れていた、若い日のもろさ、弱さ、新しい出発を
選ぶ強さ、それらを包む、生きていく喜びと悲しみ。
 あの早口は、芸術ではない、などと、レコード業界!で働く私の
弟は言うけれど、芸術でなくてもいいのだよ。
歌詞もメロディーも、心の弦泉に触れれば。
 



 
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by popmamy | 2006-03-28 14:59 | 詩、短歌、他

101歳の少年

 プロスキーヤー、三浦雄一郎のお父さん。
三浦雄一郎が、ニュージーランド、タスマン氷河を滑った
記録映画を見たことがある。30年以上前のことだ。

 その父親の敬三さんが、有名になり出したのは何時ごろから
だろう。いつか「徹子の部屋」で黒ゴマ黄な粉のドリンクを飲んだり
朝の早足歩きを密着取材している、担当ディレクターと
カメラマンの、息使い、そしてどんどん三浦敬三さんにぬかれ
おいていかれる映像を見た。

 氷河を垂直に登る夫妻のドキュメント「凍」を読んだばかりだ。
アルペンスキーは、娯楽だったり、もする。
しかし、20歳過ぎてからはじめたと言う、スキーは、やはり
奥の深い、スポーツと言うか、一生をかけるに値する
生きがいだったのだ!
 そ言ういう意味では何か共通するものがあるのだろうな、
雪のゲレンデも、氷の垂直な壁も。

 お金、体力、環境などなどで、かなりの人は20代で始めたスキーを
30代前後で止める。
 女性は結婚して、子供が出来て、止める。
頑張って出かけていたい人も、やがてあきらめる。いや、私だけかな?
 
 彼は私の亡父より、10歳年上だ。しかも父は83歳で亡くなった。
敬三さんは、101歳まで、スキーを続けた。
 父より多く生きた10年も、決して、ヨボヨボじいさん、などではなく、
素敵な男性として、ゲレンデを白馬に乗った王子のように疾走して
いたのだろう。
 短いエッセイを書き溜めたものだろう。奥様が亡くなったとき、
お嬢さんが10歳で病死した時のこと、など、読むと、
颯爽と生きていても、カッコウは良くても、訪れる悲しみも
あるのだなあと思い、涙が出た。
 しかし、終わりは来るのだ!今は筋肉の衰えを防ぐトレーニング
などからも開放され、それでもどこか見知らぬゲレンデで
滑走しているような気がする。
 



 

 
 

 
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by popmamy | 2006-03-26 17:26 |

spring has come

いやあー一気に春らしくなりましたねえ!長いこと待機していたらしく、雨が降って
気温が上がって!
 「雪が溶けて、川となって、山をくだり、谷を走り、野をうるわし、呼びかけるよ、
わたしに♪ホイ」かな?
なんて歌も、自然と思い出す。
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こんな新芽や

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こんな鮮やかな梅に、散歩道のあちこちで出会います。
 カメラ付携帯と、愛犬を同伴して、(花粉にさらされながら)散歩を
続けます。

梅は桃より後から咲くのですねえ!今年初めて認識しました。
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by popmamy | 2006-03-25 14:47 | 季節

桜のアンパン

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2,3日前co-opの店舗に行ったら、パン売り場に「桜のアンパン」が並んでいた。
やや小さめな、丸っこいアンパンだ。皮は」ちょっと油っぽい。でも私は好きだ。
他の桜シリーズ同様、淡い、桜の香りがして、色は濃いメかな。
写真に写すと、おいしくなさそうだなあ!
本物の桜は、ほとんど白に近いようなピンクだもの。
本物の桜が咲くまでに、いくつ桜のお菓子季節限定品が
見つけられるかな?
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by popmamy | 2006-03-24 22:17 | 季節

ホテル・popmamy

 この3月、我が家はホテルになった。
 、客は次女の友達で、寝るのは娘と相部屋だけど。
卒業式のあと、追い出されコンパ(今はそんな言い方はしないかもしれない)
後輩主催のお別れ会ゼミのお別れ会サークルの飲み会と、ひっきりなし。
 我が家もけっこう、辺鄙なところにあるのだが、友達も、
埼玉、神奈川、長野!と、お住いは遠方で、今日中に帰れなくなってしまうのだ。
 わたしも忙しくて、朝食に、冷凍の焼きお結び一こと、ドリンクヨーグルトなど
おだししてしまったこともある。
 布団は、十数年来、使っていない、コタツ布団、枕はタオルを
巻いたもの。
 中には、犬が苦手で、小さなポップにきゃ~とか言って、
夫にしがみついたお嬢さんも居る。
彼は十数年らい、女性にしがみつかれたことなんか
無かったので、びっくりしながらも、まんざらではなさそうだったと、
娘が言っていた。
 今夜は最後の卒業旅行で、広島に行ってた娘が、行くときも
泊まった遠方にお住いの、お嬢さんを其のまま、お連れになるようで、
又2階から布団を引っ張りだすのだ。
 布団もこれだけ出番があると、かび臭さが消えて、
チョッと生き返かえって来た。
 あなたが社会人になったら、私は、どこかやや遠い、景色の良い
本当のホテルにゆっくり泊まりたいなあ。
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ホテル popmamyの前の道!
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by popmamy | 2006-03-23 21:21

父のノートから(続き)

丹澤へ登った記録ー の後に詳細が書いてありました。

 ー丹沢でのびる記ー
丹沢とは何処に有るか、出かける二、三日前までは知らなかった私であった。
山と言えば、夜は列車の中に寝て、朝起きると目的地へ行くのだ位にしか考えて
居なかった。いよいよわたしも一行の中に加わる時になって、地図を見ると、五万文の
一地図を2枚端から端へ歩くのである。行く前にため息が出た。
あまり経験の無い、その上朗らかな連中五名。何も知らないために、向こう見ずに
飛び出したのは、今考えると冷や汗が出る。

 中央線興瀬駅で降りてすぐ自動車にのりこむ。
横浜水道青山派出所前から歩き出す。横浜水道浄水所と言うのがある。二つの
ランターンで門んの方ばかり照らしていたため、本道を外れて、浄水場脇の
細道を得々然と進行したら行き止まり。土手のような場所を抜けて
本道へやっと出る。冷や汗物であある。
 それが最初の失敗、青の原村に入って、長野、西野と通過、ぐんぐんピッチを
あげて、荒井の部落の手前「荒井橋で気がつき、ため息をつきながら引き返す。
時既に0時50分、すなわち第2の失敗。
 やっとの思いで西野まで来て、農家の寝込みを襲って休息させてもらう。
親切な人で(本当に!)われわれの米を一緒にして、鍋で炊いてくれて
、飯ごうに入りきれない飯は、茶碗を出して食べさせてくれた。
3時30分、この家の主人に案内されて焼き山への間道を登りにかかる。1時間
程で横に長い雲の間にぽっかりと太陽が真っ赤な顔をのぞかせた。同時に
われわれ菜のびて来た。 
 見下ろせば昨夜行ったり来たりした街道が下の方に細く曲がりくねって見える。
いよいよ山に入ったのだ。焼き山の辺りを北に出たり、南に登ったりして、
何時まで行っても頂上へ着かない。ミスターエチと小生と二人で先にどんどん
出てきてしまう。
 後ろの3人はだいぶまいったらしい。少々早いまいり方である。
丹沢名物の霧もかからず、珍しい天気だ。しかし、暑い。焼き山頂上で
少し日がかげった。食事をして1時間近く休む。
 一同元気を取り返して、勇んで次の難関,蛭が岳へ進んで出発する。
キビカラの下で山男氏と同行する。色々と四国の山を説明してくれる。
八丁坂では小生とミスターエチが少々のびる。姫沢原ではまた休息すること
20分。それから急な下りを過ぎて、途中山男氏と別れる。峠の間(?)になって
居るところで水の補給を成しー一路丹沢山塊の最高峰蛭が岳へと向かう。
 此処で又ミスターエチが先頭を切り焼き山で元気を取り戻したMK氏もピッチを
上げる。此の頃から反対コースを取った人たちと出会わす。
「今日は」の挨拶も、山男の自然の仁義だ。 
深い草むらの中にもぐりこんで、何行苦行の約2時間。頂上に這い上がる:
一同心身ともに疲れた形で一時間のびてしまう。
 寝不足だなんだと言って中々出発しない。やがてこれから丹沢を
過ぎて塔が岳まで行かなければ下りにはならないのだ。
がっかりする。

 ここで山のぼりの記述は終わり、途中の寺のことなどかいてある。

こうして、若き日の(20歳前後)父のある日を細かく読みながら
パソコンに打ち込んでいくと、とても感慨深い。とめてくれた農家
とか、今では信じられないような親切で、驚く。若い父たちを
面倒見てくださってありがとう、と言いたくなる。
 若い日は、こんなに時間をすごす「持ち時間」が沢山あったのだなあ。

 父はあるとき、小説家になると言い、原稿用紙をいっぱい買いこんで
家にこもったことがあるそうだ。本人からではなく、叔母(父の妹)
から聞いた話だけれど。祖父が説得に行き、あきらめたそうだ。
 本当に才能とかやる気とか、運が有れば、続けただろうけど、
やはり凡人。
書いて物を残すより、行動して、時間を楽しむ人生を選んだのだ。
 途中冷汗モノと言う言葉が何度も出てきて、読んでいて冷汗
モノだった。
 次は大菩薩峠だけれど、時間があるときを選んで、書き写したい。
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by popmamy | 2006-03-22 15:16 | 思い出

花道

 日曜日の朝、教会に行くと、玄関に、可愛い生け花が飾ってありました。
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これは、毎週、会堂の説教台の横に飾る花の残りを、omuta牧師家の
次男H君が生けた作品だそうだ!
 当番の方が、生けた後の、残りの花を使って
見よう見まねで、生けるらしい。彼は4月から幼稚園に通う予定の3歳児!
 以前は長男のW君が、楽しんでいたそうですが、もうすぐ小学2年生、
お花は卒業したようです。
 未来の、花を生ける牧師、なんていかが?
 
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by popmamy | 2006-03-20 21:41