カテゴリ:思い出( 26 )

祭りは終る

 終ると言うか、終った!
なんにでも終わりはある!
小学校の遠足は、嬉しくて眠れなかった!
バスで行く時は、ずっとバスに乗って、何時までも
みんなと一緒に、歌ったり♪、笑ったり、食べりた、外を
眺めたり!
 家に帰ると、つま~ないなあ、バスに乗り続けられたら
どんなに良いのに!と思った。
 でも、祭りは終るのだ!

 勿論大好きなのは、フィギアスケート!
冬のスポーツは、氷の上をすべりことが多い。

 子供の頃は雪が好くふった。
次の朝は氷って、ゴム長靴は、道路でつるつる滑った・
ゆきお雪だるまも作れるし、鎌倉もつくれが!

 雪が降っても、晴れても、時の経つのを忘れえ遊べる。
誰が考案をするのか、外でも、中でも、色んな競技が
考案されて、競い、雪をむさぼっている。
雪だって、これだけ遊びを考えだす人間を、面白がっているみたいだ。
 
 でも、今年の冬は、天気悪すぎ!
愚痴を言いながら、故郷へ買帰って行った、冬の若者たちへ
想いに想いをはせる。
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by popmamy | 2010-03-04 00:15 | 思い出

小さな旅人は帰って行った

 あっと言う間の3週間だった。
初めは目もあわせてくれ無かった・
 帰る日の、バスを待つ間に、初めて両手を出して、抱っこさせてくれた。
夜更かしをしないで早く寝なさいという、娘の声がきこえるようだたが、
パソコンが使用中のことが多かったので、、色々なことが飛び勝て
居た。
 長女は働き盛りに、うごきまわってッくれた。
久しぶりにパソコンの前にすわると、頭の中が真白に真白になる!
  
 3週間一緒に居て、又広い太平洋のかなたに飛んで行ってしまった。
私が勝手に着けたニックネームのあむ君は、家に来ていた間も
良く食べ、良く眠り、だんだん周囲に馴染んできた。
 初めに「多摩動物公園」出かけ、晩秋の日差しを浴びて
良く歩いた。
 ライオン、キリン、フラミンゴ等、それぞれに、美しい生き物!
 
 夫は、色々企画を持ち出すのだが、天網、年齢などで、ほとんど
却下され、買い物についてきて、赤ちゃん休憩コーなナで居眠りをしていた。

 又、老人ホームで暮す夫の母を訪問した。
 義母、夫、私、娘2人、孫の4人で、訪問。
夫の家系4代がそろって記念撮影!もデ時m
暖かくてよく晴れた。
 帰りに手を握られ、私も帰るといわれた。
母の家は広くて、古い。もう何年も空家状態だ。
 最初は、ご苦労様、どなたですか?などと言ってたが
フト思い出したのだろう。
 自分の未来を思えば切ないが・・・又来るからねと、
手を振って出てきた。






 
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by popmamy | 2009-12-24 01:02 | 思い出

若い大統領

 ヤッパリ!新しいアメリカの大統領は、オバマさんが選ばれた。
そんな日が来るなんて、以前は考えられない事だった。
時代は変わったのだし、白人と、黒人の間に
多くの、それ以外の人種が、アメリカにも流れてきたので
黒人対アメリカ人として対立する事は少なくなったのだろう。
朝のNHKのプログラムで、女性の解説者が
言っていた。キング牧師も、天国で、感慨を深く味わっているのかも?
 夫婦で、目を見つめあいながら、世界中が見守る中で
ダンスをする!映画みたい!

 若い大統領といえば、私が思い出すのは、ケネディー大統領だ。
高校一年のときか、2年か忘れたが、若い40代の
大統領が誕生し、その就任演説を、英語の授業でやったのを
思いだす。
 ”国があなたに何をしてくれる”かではなくて、何をあなたは
国に出きるか・・” この長い構文を暗記させられたのなあ。
しかし、若い大統領は暗殺されてしまった。
 私の友人は、ケネディー大統領に」”恋”をしていた!

阿部前首相夫妻は、飛行機のタラップを降りるとき、
手をつないでいる。
 日本の天皇陛下も、タラップを降りるとき、皇后陛下の
手をとって、それから腕を組む。

 アメリカの新しい、若い大統領は、一晩中!ダンスをする。
どんな大統領になっていくのだろうか?
 やはり、アメリカは若い国だ。
もう1回行ってみたいよなあ!
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by popmamy | 2009-01-22 23:57 | 思い出

アーミッシュ

 悲しいのは・・・一生懸命書いた記事を、下へ下げていかないで、左うえの
マyブログにタッチしてしまうこと!
一瞬にして、傑作?が消えて行くこと!
あれらはどこへ行ってしまったの?

 lanovaさんの、スケール大きい記事を読みながら
異国、コメント書いて、間違いタッチを何回やってしまったことだろう。

 25歳の時、アメリカの知人の家にホームステイをした。
日本に彼らが来ていたとき知り合った、私と同年代の夫婦。
 予備役召集・・・で日本に滞在し、横田基地で、勤務していた。
基地に住まず私が通っていた教会のすぐ近くの民家を
借りて暮していた同年代。
 とても気さくで、英語がわかりやすい夫婦だった。
彼らが帰国した後で、私は、別の知人の家に
滞在していたのだが、シアトルから一気にワシントン
DCの彼らの家へ行ったのだ。
 そこで、全く日本人の居ない生活を約3ヶ月、送ったのだ。

 アーミッシュのマーケットには、彼女の姉の夫!に
つれていってもらった。ジャガイモと、小麦粉を
たくさん買った。まだ、博物館とか、は無かった。
 又アーミッシュキルトも知らなかった。

 男性は成人はひげを生やして、帽子を被り、馬車で
電気は引いてない。200年くらい前のままの生活を
している。血族結婚多いだろうなあと思った。

  3ヶ月の滞在を終って、私は両親の待つ日本へ
帰って来た。まだ国際空港が羽田だった!
 私は、漠然と暮らし、漠然と結婚し、漠然と
生きて行くのはいやだと思っていた。
 
 彼らの生活を3ヶ月見て、体験して、目からウロコ!
そうなんだ、enjoyすること、生き生きと生きること、
主張すること。親達の生き方は、生まれてしまったから、
学校へ行き、仕事に就き、結婚し・・・ 楽しんで子育てを
していたのだろうが、つまらなそうにも見えた。
 10月から12月まで、行事の時期だったし。
ハローイン、感謝祭、クリスマス。家長が切り分ける
七面鳥。何でも間でもラップして、ツリーの下に積み上げる
クリスマス。ケーキを焼く!
 ヨシ、私も日本に帰ったら、エンジョイする生き方を
実行するぞ!
  
 そうこうして、帰国してからは、会社員生活もenjoyする
よう心がけ、結婚や子育ても、楽しんで来た。

 それで・・・アーミッシュは?
次回です。もう寝なくてはzzzzz


 






 
 
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by popmamy | 2008-11-30 01:13 | 思い出

清原選手

 清原選手が引退した!
高校を卒業したばかりの、西武ライオンズのユニフォームを着た
初々しい細身の、清原を思い出す。
 実家のすぐ近くに、ライオンズが移ってきて、私は
喜んだ。
日本シリーズで、2年目の清原が、ジャイアンツをくだして、優勝
した時流した、清原の涙!
一緒になって、祝福したものだった。

 娘二人が小学生だった頃のことだ。
友人も、所沢に越してきた。

 家の押入れには、ライオンズのメガホン、旗、帽子
等があるはず!

 第1期黄金時代の始まりの頃。
父は、西鉄ライオンズのファンだった。

 とにかく、友人と私は、子供を連れて、ドームではない
ライオンズ球状に、良く出かけてものだ。

 後援会に入り、子供何とかクラブに入り、青いリュック、
帽子、メガホンと、いくたびにぐ、goodsを買った。
子供達は、秋山が好きだったり、工藤が好きだったり・・
・・・
 黄金時代は、デストラーデがいた時まで。
アメリカから、選手を
スカウトしてくる時代だった。

 日本シリーズには、キップが中々手に入らず、テレビ観戦だった。
細身だった清原も、段々筋肉がついて、頼もしくなった。
野球は、球場に行ってすりばち型の上から見ると、面白い。
9人の選手が、サッと動く。パズルのようで、美しい。

 優勝し続けるライオンズ、最後のシリーズ、
森監督最後の日本シリーズは、夕暮れ迫るまで
試合は続き、胴上げされる森監督の背後は、所沢の
紅葉が、暮れて行った・・・
  
 デスとラーデも去り、清原も去り、・・・西武球場もドームに
なってしまった・・・
  そして、清原も引退した。
人間て、18歳の細身の青年から、身長さえも伸びたかと思われる
精悍な大人へと、変わって行くものなのだなあ!
 清原と同じ時間を生きている、私だって、かなり変わっただろう・
ライオンズのリュックを背負って、西武球場へ行った
娘達だって、大人になって、子供もいるのだから・・・
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by popmamy | 2008-10-02 22:12 | 思い出

May Day

日本語なら、メーデー
昼間、テレビのニュースでも、夜のニュースでも、
多分、メーデーの報道!は見当たらなかったと思う。
 夫は、かつては、精密機械製造の、会社に勤めていた。
5月1日は、会社は休みだが、組合員は、メーデー
の決起集会に出かけなくてはいけなかった。

 今思えば、組合と言うのはありがたかった。
半年に一回、家庭の常備薬が、支給される。
 邪や、胃腸薬、常備薬、消毒用キット、バンドエイド
等が支給される。
 歯医者の治療費も、ある限度からは、組合がハラってくれる。
 それを当たり前だと思って、長年暮らしていたが、
ある時期から、ガタガタと、この恩恵は、崩れて行った。

 年に一度のメーデーは、二つの大きな組合を中心に
別々の場所で、行われていた。確か、総評と同盟?

 夫が働いていた会社は、民社系で、今住んでいる市の
F公園に集まる。労働者のお祭りだ。盛り上がるのは、福引だ。
子供達は、お菓子の袋や、風船などもらい、
ゲームなどもあった。

 最も盛り上がるのは、スポンサーが、提供する
福引だ。
 特等は、○○ベッド。高級品だが、住んでいる「うさぎ小屋」
に入るだろうか!

 長女が3歳の5月1日は、家族3人で、参加した。
まだ下の娘は生まれていなかった。
 会場となったH市の大きな公園のある町に
住むようになるとは夢にも思わなかった。
まだ小さかった娘も、公園から、駅までの
デモ行進に参加した。
 現在、車でそのあたりを走ると、すべてのことは
夢みたい・・・だ。
 高度経済成長の夢は、確かに消え去った、いや崩壊
したのだわ。
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by popmamy | 2008-05-01 23:49 | 思い出

余韻

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「彫刻の森」ー屋根の上のバイオリン弾きみたいだった!
 
 先週の今頃は、箱根だったよね!とか、箱根の宿で、
立てたお茶は美味しかったなあ、とか、話したり、思い出したりの
私達だった。
 今朝、娘からメールが入った。
「ああ、箱根旅行はよかったなあ♪のんびり出来たしね☆
現実は忙しいものだね
 あら、私達夫婦だけで、振り返って、楽しかったなあ♪
と言ってるのかと思ったら、彼女にとっても、命の洗濯、
気を使うこのの無い、旅行だったようだ。
 大学を出て3ヶ月目に、職場の寮に、サッサと!引越し
したんだものね!

 長女は、家族で行った「東北旅行」は覚えていると
思うが、小学校1年生だった彼女は、「記憶に無い」
と言う。

 うちら夫婦は、高度経済成長の頂点から、バブルまで
けっこう波乱万丈の波に、もてあそばれたので、
旅行などは、1,2回しか行ってない。
 ディズニーランドは、何回か行ったけど、覚えてないと
言う。

 温泉に入った夜は、何時までも足が温かかった。
天気は悪かったけど、思い出すと、ニヤニヤしてしまう。
 サッサと独り立ちしてしまった娘だが、それなりに
家族全員いたころの暮らしを、「なつかしい」と
思うようになったのだなあ、と思えば、泪が出そうだよ!

 いつか、長女の家族とも一緒に、小さなたびでいいから
一緒に行きたいね!

 
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 宿の炭火。紫に映ってしまうけど、本当は、暖かい
火鉢!
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by popmamy | 2008-03-19 21:06 | 思い出

母の看病

 正しくは「母が看病」してくれた思い出だ。
3人姉兄弟の長女だった私は、「丈夫な子」として、育った。

 今回、入院していて、ふとなつかしく、思い出した。
夫が海外に単身赴任して、6ヶ月あとに私たちも行く予定だった頃。
冬で、長女はもうすぐ1歳になろうとしていた2月。
 
長女は、高熱と、下痢と、湿疹で、新米ママの私はオロオロしていた。
突発疹だと、近所の医師は言う。ベテランママ達は、違う、あの先生は
やめて別の小児科へ連れてきな!

 その頃は車の免許はまだなくて、高熱下痢の娘をバスに乗せて
その、良い医者へ行く気にはなれない。
そのうち、わたしも下痢が移り、高熱も出てきた。
  助けを求めたことはなかったのだが、この時は、すぐ母に電話した。
 次の日、母は、やってきて、色々手伝い、泊まって行った。
その翌日、母は、私と長女と、自分の荷物と、私の荷物を
まとめ、タクシーを呼んで、実家へ帰った。

 父もまだ現役の勤め人だったし、なれない家で家事をするより
連れてきたほうが楽だからと。
 そこで私は、元私の部屋でゆっくり眠り、長女の面倒を見て
過ごした。医者には行かず、お粥を食べて、娘は母乳を控えて
ミルク(下痢の止まる、(ボン何とかと言う、大豆のミルク)
を与えた。
 今思っても、スイートな、1週間だった。
今回、入院した時、病院のあわただしさに、疲れた時、
あの時の母が看病してくれた日々を思い出した。
 1週間後、すっかり回復した私と娘を、再びタクシーを呼んで
乗せ、タップリとした、タクシー代を持たせてくれた。

 今の私より若かもしれない。
母が亡くなる頃には、私は子育て真っ最中で、母を家に連れてきて
看病・・・なんてことは考えもしなかった。

 それに母は、良く病気、入院をする人だったので、慣れっこに
なっていたのかもしれない。

 しかし、この思いでは、私の宝で、思い出の引き出しに
しまっておいて、ごくたまに、引っ張りだして、充電し、また蓋を
するのだ。

 
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by popmamy | 2007-11-20 17:54 | 思い出

さ・い・か・い・

 この4文字の単語を見て、ある日本語の単語を思い出す。

その頃、わたしはJR(その頃は国電と言った)東京駅と、東京の
西部、多摩地区から、中央線を利用して通勤していた。

 帰りが遅くなり、ラッシュも過ぎたホームで、電車を待って
居ると、静かな駅に、アナウンスの声が響き渡る。
 ○番線から、○○行きの、特急 さ・い・か・い・
入ってまいりました。どうのこうの

 これは、夜行特急だったと思う。
このアナウンスを聞くと、若く!多感?だった私は
「再会」と言う言葉が浮かんだ。
夜行列車で行く再会の旅!♪良いなあ、などと思いを
めぐらせたものだ・
 
 あるとき、社用で後輩だか、同僚だか、兎に角少し年下の男性と
このアナウンスを聞ていたことがあり、「さいかなんて、ロマンチックな
名前ねえ」
 と言ったらば、「え!Sさん(その頃はまだ、popmamyではなかった!)そんな
風に聞えますか?ボクは、そう思えない」と答えた。
 では、なんと聞えるの?「最下位」
 さ・い。か・い・ 「最下位・」さいかいー」と、頭の中に響きわたる、と言う。どんな
学生時代をすごしてきなのか?

 え、言葉って、そんなに別の、単語として、耳に入ってくるの~と
ビックリしたものだ。
 その列車名は「西海」で、さいかいと読む。九州の方へ
行く列車だったと思う。
 
 その後の人生で、夜行列車で行く、再会の旅も
最下位の旅も経験しなかったけど。
 今では、新幹線で、眠る暇もなく、目的地に到着するんだろうな?
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by popmamy | 2007-10-10 20:10 | 思い出

シャボン玉ホリデーを知ってるかい?

 昨日一緒に「volver]と言映画を見た友人に
メールした。
 今新宿で「ザ・ヒット」と言うミュージカルを
見てきたのと返信。
 元気!私より10歳若いし。
そして、なんと懐かしいタイトル!

  ナベプロ!の昔懐かしい歌満載で、3時間のショーも
 盛り上がって、アット言う間だったとか!

 それからしばし、メールの交換が続いた。
 私は「シャボン玉ホリデー」と言う番組が大好きで
日曜日が待ちどうしかった。

 番組の最後に、双子の姉妹、ザ・ピーナッツの口ずさむ
スターダスト・メロディー、二人の肩に手をじょせ
ハナ ハジメがチョッとした小話をしゃべり、落ちを
言うと、二人がハナさんにヒジテツをかける!

 田辺靖男、九重ゆみ子、伊藤ゆかり・・皆歌うまかったなあ!

 そういえば、「夢であいましょう」と言うNHKの歌番組も
毎週楽しみだった。

 今も活躍している黒柳徹子さん、もう居ない渥美清、ほっそりと
上品なデザイナーの中島弘子さん。

 記憶では、初期のシャボン玉ほりでー等は、モノクロ!
だったかな?家のテレビが、まだカラーではなかったのか?

 そのミュージカル、観に行きたいなあ!
勿論タイトルの「 ザ・ヒットパレード」も好きだった。引っ張れー
ヒッパレーー♪ヒッパレーと聞えた!

 
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by popmamy | 2007-07-20 00:44 | 思い出