子どもの頃、母は私に、お前は丈夫な子だとよく言った。
わたしには2人の弟がいて、彼らはわたしよりは、怪我、病気が多かった。 しかし、私とて、病気はした。インフルエンザとか、大腸カタルとか! でも3歳半下の弟はさらに、母をドキドキさせるような病気をわずらった。 どちらが先だったか忘れた。1つは「肺門リンパ腺」と言う、呼吸器?肺? の病気で、微熱、咳などが出て、かなり長引いた。 もう1つっは腎臓炎?で、これもきちんと直しておかないと、成人してから 苦労することになるだろう。弟は昭和23年生まれ、団塊の世代だ。 画期的な新薬とかは無く、今みたいに、それ入院と言うわけにも行かなかった。 母がどこからか仕入れてきた情報は、「とうもろこしの毛を乾燥させて 煎じて飲む」と言うものだった。 西瓜も腎臓には良いらしかったが、季節は冬だったようなきがする。 弟が綿入れの半纏を着ている写真があったから。 母はどこからか、せっせと、とうもろこしの毛を集め、 まじめに乾燥させて、煎じて弟に飲ませていた。 長い地道な努力だ。 それが効いたのか、医者の薬が効いたのか、弟の体力か、 兎に角彼は回復し、無事成人した。 したの弟も、風をこじらせて肺炎になり、母は、地道な看病で回復させた。 その間私は、何の病にもかからず、お前は丈夫で良いねえと言われた。 しかし、そのわたしも、5年生の秋、大腸カタルとぃう病気になった。 秋、父が作ったぶどう棚のぶどうが実ると、食いしんぼうの私は、洗わないで とっては自主的なおやつタイムを楽しんでいた。 あるとき、高熱と激しい下痢に襲われた。医者が呼ばれ、病名がつげられ 又母の努力がはじまる。多分ペニシリンとぃうものが使われたとは思う。 記憶では、ひまし油と言う世にもまずい液体を、飲まされたのを覚えている。 何日もご飯を食べられなかったことも! しかし、下痢はとまり、重湯からお粥への、おいしい過程で、私は回復した。 いま思えば、あの母の地道な看病がなければ、私たちは、この年齢まで 生きながらえたかどうか分からない。 弟たちはどう思っているか知らないが、今になって、大腸の炎症で 入院して、絶食、おもゆ、お粥の過程をたどって回復したとき、 いまは亡き母の「愛の力」を思い出して、切ない感謝をかんじるのだ。
by popmamy
| 2005-11-28 17:53
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